

パティシエ
西原 金蔵
四条から堺町通を北へ行ったところ。錦小路のそばの路地の奥に店を開いて今年で10年になります。岡山出身の私にとって京都は初めて働いた土地。ホテルの仕事がしたいという私に京都を勧めたのは両親でした。理由は簡単、親戚が居て安心だから。姉三人の“末っ子長男”がいかに甘やかされて育ったか解っていただけるのではないかと思います。
ホテルでサービスの仕事を経て、調理師専門学校へ入学したのは22歳のとき。パティシエの道へ進むのですが、大きな転機となったのはフランス料理界の巨星と呼ばれたアラン・シャぺル氏との出会いでした。彼のレストランにはシャぺル氏の創り出す料理を楽しむために世界中からお客様が訪れます。シャぺル氏の求めに応え、どういう人にどんなデザートを食べていただきたいかを繰り返し考える毎日のなかで、決まった手順や配合にとらわれず、「なぜそうするのか」「なぜそうなるのか」を追求することの大切さが明確になっていきました。
世界中を食べ歩くようなグルメに、おいしいね、と言っていただけるための緊張感は大変なものですが、私は私の小さな店でもその感覚をもって“お向かいのおじさん”や“お隣のおばさん”に満足していただける味をつくっていきたいといつも考えています。また、京都にはそんなつくり手の緊張感を見抜くパワーがある。慣れ親しんだものだけを食べるのは楽なことですが、よいものを探す労力を惜しまない方が多いように感じます。
もちろんそれはつくり手に厳しいということ。京都に店を開くつもりだと言うと、同僚や先輩に「やめておけ」と何度も言われたものです。私はあれもこれも器用にできる人間ではありませんし、ましてや店は四条の大通りから少し離れた場所にあり、極めつけには細い路地の奥の奥。通り沿いにショーケースすら出ていません。ただ、自分がつくれる範囲のものを親しい人を招いて食べてもらう、という思いで作った店だったので、隠れ家のような細い路地は私のイメージにぴったりだった。
ケーキを売る店としては悪条件じゃないかと心配して毎日見に来てくださる大家さんや、わかりにくい店構えのために道に迷うお客様を丁寧に道案内してくださる市場のご店主。甘やかされて育った末っ子の気質が役に立ったものか、温かな方々の懐に入れていただいて、なんとかやってきた10年でした。そんな京都のまちに恥ずかしくないものを、これからもつくり続けていかなくてはならないと感じています。
