

京都橘大学 学長田端泰子
上杉本「洛中洛外図屏風」は、狩野永徳によって描かれた屏風で、成立年代は天正二年(1574)であるという説が最も信憑性が高い。屏風を注文したのは、すでに入京を果して足利義昭をも圧倒する力を世間に示していた織田信長である。信長は越後の戦国大名・上杉謙信に贈るために、永徳の工房に描かせたといわれる。謙信は屏風の中で輿に乗る姿で描かれており、よく考え抜かれて製作されたものであることがわかる。
この屏風には、主要建造物や名所が、田園風景と共に描き込まれ、一枚の屏風の中に、正月からはじまって、四季折々の風景が盛り込まれているという、多様な内容を含む屏風になっている。見る人をさまざまな場面に案内してくれる、実に楽しい屏風なのである。
この「洛中洛外図屏風」中の圧巻は、何といっても祇園御霊会の華やかな行列や山鉾の姿、見物人たちが四条通にぎっしりと描かれていることだろう。
四条通の東の端、鴨川にはゆるやかな仮の太鼓橋(四条橋)が架かり、その上を西に向かって、犬神人を先頭に行列が通る。その行列には鎧を着けた武者が二列に並んで行進する様が描かれる。なぜ武者が先頭近くで行進しているのかという問いには、室町幕府がこの祭を後援しているからだという答が妥当であろう。よく見てみると、他の鉾の行列にも、多くの武者が鎧・甲で一緒に行進しているのがわかる。武士も庶民も祇園祭を契機に、一体感を確認していたことが推測される。
いっぽう、女性の姿を探すと、行列の中には見えず、剣鉾のそばを歩きながら見物している女性たちが、笠を挿して被衣で歩く姿として描かれているのみである。鶏鉾を見物に来た女性たち、子供たちの集団も、被衣姿であり、別の方角から見物している女性たちは、笠を被った姿の集団である。笠を被っているのは、遠くから祭見物にやってきたことを表すのだろう。被衣で子供連れの一団は、おそらく、近所に住む女性たちなのであろう。
目を縦の通りに転じると、そこには日常生活の様相が描かれている。烏丸通を歩く女性は、大きな曲物の容器を頭上に載せて運んで行く。このように頭上に物を戴いて運ぶ方法は、男女ともに一般的な荷物の持ち方であり、大原女だけに特異な姿ではなかったことが分かる。「振売り」という行商が、店での販売以上に多かった室町期の京都では、頭上に物を戴いて移動するのが、最も手軽な方法だったのである。
商売以外の行楽時にも、このように頭上にふろしき包みを載せた従者を引き連れて歩く男女が見られる。紅葉狩りなどを楽しむ貴婦人たちは、従者の男女がこのような姿でお供をしたのである。
四条通界隈だけを眺めても、この屏風はさまざまな情報を後世の私たちに残してくれている。四条通の今の発展は、以上のような働く人々、祭礼を一体となって楽しむ人々が織り成す歴史の上にあることを、改めて思うのである。
■上杉本「洛中洛外図屏風」は米沢市上杉博物館所蔵
